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shadowtimesとは

港千尋(写真家、批評家)、勝又公仁彦(写真家、美術家)@heliolunaキュレーションによるスマートフォン時代の有料フォトメール&ウェブギャラリーshadowtimes。

広範囲な知識と移動によって、軽やかに知識と地域を横断している記述する写真家たちによるリレー形式によるフォトメールとアーカイブ型のウェブギャラリーです。今や誰もが携帯している私的郵便箱(メールアカウント)に、写真家たちが見た光と影を写真と言葉によってタイムリーにお届けするとともに、過去のフォトメールや写真がウェブギャラリーで閲覧できます。

内容は、写真のみならず、国内外のアート、テクノロジー、政治、経済、宗教、言語、文化、芸能、民族など多岐に渡り、人類の起源から現在に至る歴史まで、横軸と縦軸を斜めに交差したり回遊したりするような多様な歩行の足跡が記述されていくことでしょう。彼らによって混迷する世の中がどのように切り取られ記述されていくかは、時代を見つめ次代を占う様々なヒントが隠されているでしょう。

また、読者からのリフレクションも反映されていき、新たなフォトコミュニケーションが生まれることを期待しています。

shadowtimes編集部

shadowtimesについて 港千尋

最初に新聞の紙名にこの単語を使ったのが英なのか米なのかは知らないけれど、『タイムス』や『ニューヨークタイムス』というのはカッコいいなといつも思っていた。時間の複数形。時はひとつじゃない。いつかそんなタイトルを使ってみたかったので、shadowtimesは長年の念願かなったりなのだ。

影がいまそこにあるモノの輪郭を映すように、いまそこにあるコトのかたちを映しだしたい。ネガとポジが反転し、隠れていた顔が顕われるファンタスマゴリア。あるいはサイズを自在に変えながら、光の来る方向やその強さを語りつつ、イメージを驚きに変える影絵。影のなかには、きっといろんなヒントがつまっているだろう。

写真、アート、メディア、旅…いまそこにある時代の不思議や面白さを、自在に動きながら発見するために―さあshadowtimesの創刊です。

連載フォトエッセイ「Days and Lights」について 勝又邦彦

私の写真による早い時期の作品に「Phases」というシリーズがある。それは長時間露光により闇の中の光を集めることを意図した作品群で現在も撮影は継続中である。その作品について1998年に記述した文章に、光とかげについて言及した部分がある。
それは――やまとことばの「かげ」には陰影や暗がりを表すのみならず、「月影」のように光を表す意味が同時に内包されていた、といった記述であった。

翻って「光」の中に「かげ」を表す意味があるかどうか、というのは寡聞にして知らない。だが、光はただそれだけでは存在せず、常に闇や「かげ」を背景とし、支えられていることは自明のことであろう。これは、光を可視光と置き換えれば、宇宙背景放射のような見えない光やダークエネルギー、ダークマターの存在なくしてはこの宇宙の構造が説明できないことにも支えられている。従って、私の使うlight(光)という言葉は常に闇や「かげ」とともにあるということができるのかもしれない。

このメルマガの全体が「shadowtimes」という名前であり、その下に私の「Days and Lights」があることも「かげ」の中を貫く一抹の光条をイメージしてのことだ。
E・レヴィは「ラテン語の啓示者=revelare という言葉の表現に従えば、(秘法伝授者は)再び包み隠す人、新しい影の創造者である」と述べている。
もとより私は啓示者でも秘法伝授者でもないが、ネットワークや映像解析技術の進歩などによる、全てが白日の元にさらされるかのような光と監視の巨大な「明るい部屋」に全てが覆われつつある現在、何を隠し、誰にそれを伝えるか、ということは再考されねばならないことだと思われる。
もちろん、知識が広汎に開放されるということは望ましいことである。しかしその是非はともかく、ある特定の集団やある特定の伝授者にのみ受け継がれている知識や呪文、儀礼というものも現実にあるのである。

同様にこのメールマガジンは、会員の方たちにのみ閲覧が可能であり、それ以外の人々は一部のコンテンツを除きアクセスすることができない。ちょっとした手続きのみで簡単に誰にでも開かれていると同時に、会員以外には隠されているという両義性を帯びる。
その意味で、読者は私が見、また感じた光を遅延して浴びる共犯者であり、それは隠された秘密の光であるということが言えるかもしれない。その秘密性のある強い光が密かに投げかけられることによって、会員読者の内に豊かな諧調に満ちた多くのshadowを創造するということになるだろう。

話が少し怪しい方向に行きかけたところで、では"Days"の方はどうかということになるが、そのまま「日々の記述」とはならぬまでも、時々刻々と心に浮かびゆくよしなしごとや、消えゆく思い、流れてゆく思考や感情の一片、様々な出来事、作品や関わる展覧会についてなどをつなぎ止め記すことになるかと思う。

ヨーロッパの日記の起源の一つには、複式簿記の欄外に書き付けたメモがあるという。仕事としての経理の記載だけでは倦んでしまう商人の心や、数字の並びだけでは十年一日の帳簿も、つれづれなる思いを添えることで、個人の色と息遣いの加わる生きた記録と記憶のストレージとなったのであろう。
もとよりこちらはお小遣い帳もつけられない、どんぶり勘定の輩である。整然とした数字の部分は残らず、今のこと昔のことを織り交ぜたエピソードの集積となるであろう。それは帳簿に並べられた単線的で交換し難い数字のようなものではなく、様々なきっかけによってランダムに召還される記憶という生きた幽霊の飛び交う、「時間の影」をつかまえるような作業になるだろう。

公表されることを前提に書かれた多くの「作品としての日記」は、日常に起きたことを素材としながらも、現実と非現実、真実と虚構、夢とうつつの境界を軽々と越境しつつ、それでいてまたリアルである。私はそれらのものよりはより現実に依拠しながらも、少なからずその潜みにならうことになるだろう。そしてそこから生まれる何ものかが、会員読者の思いもよらない記憶を喚び起こすかもしれない。

『土佐日記』や『更級日記』『十六夜日記』が紀行をベースとしていたように、過去と現在の移動や旅の記録も加わるであろうし、また、膨大に撮影されてきながらも発表の機会を得なかった写真や作品たちもこの場を借りてご覧に入れられればと思う 時にはゲストを招く予定でもある。私の過去と日常だけでは表しきれない、様々な思考と表現をお楽しみ頂ければ幸いと考えている。

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